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甲府地方裁判所 昭和61年(わ)133号 判決

主文

被告人Xを判示第一ないし第五の罪について死刑に、判示第六ないし第八の罪について懲役一年六月に処する。

被告人Y子を懲役五年に処する。

被告人Y子に対し未決勾留日数中二〇〇日をその刑に算入する。

被告人Xから押収してある登山用ナイフ二本を没収する。

理由

(被告人両名の経歴等)

被告人Xは、秋田県北秋田郡において、母M子の子として出生したが、父親は不明であり、水商売をしていた母親や生活保護を受けていた祖母N子に育てられ、小学校二年生のころからは、別に住むようになっていた母親との往来がほとんど途絶え、もっぱら祖母N子に養育されて地元の小学校を卒業後、同女がアルコール中毒で入院したため秋田市内の福祉施設に預けられ、同施設から中学校に通学し、昭和四九年三月同市内の中学校を卒業し、その後、京都市内の料亭に板前見習いとして就職したが、同年一〇月に祖母N子が入水自殺したことを機に秋田県内へ戻り、料亭、食堂、キャバレー等勤務先を転々とし、昭和五四年一一月にO子と結婚し翌年長女をもうけたが、女性関係やサラ金からの借金などが原因で、昭和五七年二月に長女はO子が引き取り離婚し、その後は一人で京都市へ行きキャバレーの客引きなどをしたが、女性関係のもつれ等から昭和五八年一月ごろ三重県四日市市へ行きキャバレーのボーイとして稼働していた。

被告人Y子は、山梨県東山梨郡において出生し、二歳のときに両親が離婚したため、実母S子の実姉でその養母でもあるT子U夫妻に養育され、五歳のときに実母が再婚した後も、小学校一年から三年間余及び中学三年のときに実母のもとで生活した以外は、T子夫妻と共に暮らし、昭和四九年三月地元の中学校を卒業後、電気メーカーに就職し地元の工場で働き、昭和五三年六月に退社し同年一〇月に会社の同僚であったVと結婚し、その後何か所かで工員をしていたが、昭和五六年八月に離婚し、同年秋ごろから当時の勤務先の同僚である男性と親しくなって同せいし、遠くへ行ってやり直すことになり、昭和五八年二月初旬右男性と三重県四日市市へ行き、既に被告人Xが勤務していたキャバレーでホステスとして稼働するようになった。

被告人両名は、勤務先の右キャバレーで知り合いお互いに好意を持ち、同年三月初旬ごろには肉体関係を持つに至り、被告人Y子は働かない前記男性に嫌気がさしていたこともあり、別の場所へ行って被告人両名でやり直すことに決め、同月中旬ごろ四日市市を去り、長野県飯田市、岐阜県高山市、新潟市などを転々とし、キャバレー等で被告人Xはボーイとして同Y子はホステスとして稼働し、同年九月ごろ、同女が妊娠したことが判明したこともあり、同女の出身地である山梨県へ行き、夫と死別し一人暮らしをしていた前記T子と同居し、借金の催促から逃れるため一時秋田県内で生活したが、同年一〇月下旬ごろ山梨県へ戻り、同年一一月には婚姻届を提出し、甲府市内のアパートを借り、二人共同県東八代郡石和町内のおもちゃ店で働いた。

被告人両名は、昭和五九年二、三月ごろ右おもちゃ店を辞め、同年四月上旬京都へ旅行したが、被告人Y子が、産気づき同市内の病院に入院し、同月六日両被告人間の長男Aを出産したものの、所持金がなかったためT子やS子に連絡をとりAを病院に残して逃走し、被告人Y子が同市内のキャバレーで働いて当座の資金を得て山梨県へ一度戻った後、秋田県へ行き二人共キャバレーで働き、同年七月ごろ今度は新潟市へ行きキャバレーで稼働したが、同年一一月ごろから被告人Xは仕事にいかず、同Y子の稼ぎで生活するようになり、同女の仕事ぶりをノートにつけ同女に収入を増やすよう言っていた。

被告人Y子は、昭和六〇年四月、当時勤務していた新潟市内のキャバレーに来店したBを接客したことから同人を知り、独身であると偽って同人の気を引き、同被告人に好意を持ったBは、同月下旬に茨城県土浦市に転勤した後も、同被告人に会いに新潟に来て同被告人の勤務するキャバレーに通い、また同被告人に手紙を出すなどし、同年八月ごろには二人でホテルに行ったが、同被告人が拒絶したため肉体関係を持つには至らなかった。被告人Y子は、Bに対し愛情を感じておらず金遣いのよい客であり単なる金づるであると考えていた。

しかし、被告人Y子は、同Xが働かず、たびたび酔余のうえ自分に乱暴するので、同年九月初旬ごろ同被告人に離婚を申し出たところ、手切金を要求されたことから、B及び被告人Y子の客で既に肉体関係のあったCからサラ金の返済に必要だと言って合計五四万円を受け取り、被告人Xに渡したが、結局、二人で京都へ行き、ホテルに泊まり映画を見たり寺院を見物するなど遊興にふけって、右金員を費消してしまい、所持金が乏しくなって、再びやり直すこととし、同月中旬ごろ山梨県へ戻りT子方に同居したが、被告人Xは依然として働かず酒ばかり飲んでいたため、同Y子はT子と相談のうえ同Xから逃げることを決意し、新潟市内の前記Cのもとに身を寄せた。

被告人Xは、同Y子が無断でいなくなったため、同女の行き先を推理し、Cのアパートへ電話をかけるなどして同女がC方にいることを知り、新潟までの旅費がなかったため、前記Bを利用することを考え、土浦市の同人に電話をかけ、私立探偵のZと名乗り、ある人からの依頼で被告人Y子を探している旨偽り、山梨県まで来たBの車に同乗して新潟へ行ったが、その途中被告人XはBに同Y子には夫と子供があることを話した。そして、被告人Xは、Cのアパートから同Y子を連れ出し、B運転の車で山梨県内のT子方へ戻った。

その後、被告人両名は、再度やり直すことを決意し、秋田県へ行ったが、仕事もみつけることができず、後記判示第六の10ないし14のとおり同人が窃取した金員や、同第七、八のとおり被告人両名がCを脅して送金させた金員や、同Y子がBに送金させた金員などを使ってラブホテルなどを転々とし温泉地に行くなどとして遊興生活を送った。

そして、被告人Xは、昭和六〇年一一月二四日、秋田県北秋田郡鷹巣町居住の知人のDに宿泊方を依頼したが断られるなどしたため立腹し、同人に所携の日本刀で切りつけ全治約三週間の傷害を負わせる事件を起こし、逮捕勾留されるに至ったが、自分は服役しなければならないと考え、同Y子のために同女と離婚することを承諾し、同年一二月二日両被告人は協議離婚した。

被告人Y子は、離婚後T子方に戻り、甲府市内のキャバレーで稼働し、Bに被告人Xと別れた旨連絡したところ、Bが再び土浦市から同女の勤務するキャバレーに通うようになり、また、他方では別の男性と親しくなり肉体関係を持つなどし、被告人Xからは段々心が離れていった。

(判示第一の犯行に至る経緯)

被告人Xは、前記のとおり傷害事件を起こして逮捕勾留され、この事件で服役しなければならないと考えていたが、同房者などから執行猶予が付いて釈放される可能性があるとの話を聞き、被告人Y子と離婚したことを後悔するとともに、釈放になったら一刻も早く同被告人と会いたいと思っていたところ、昭和六一年二月一七日、前記事件について、秋田地方裁判所大館支部において暴力行為等処罰に関する法律違反罪として懲役一年六月、三年間執行猶予、付保護観察の判決を受けて釈放され、駐在保護司から、同月一九日に秋田保護観察所へ出頭するよう、また出頭しない場合には執行猶予が取り消されることもある旨の説明を受けたが、一刻も早く被告人Y子に会いたいと考え、翌一八日新潟市へ行き同月二二日まで同市に滞在し被告人Y子を探したが見つからず、同日上京し、上野で登山ナイフ二本を購入し、同月二四日山梨県へ行き、同日と翌日に山梨県東山梨郡《番地省略》所在のT子の家の様子をうかがったが、同被告人が居住しているか否か判明せず、同被告人はやはり新潟市内にいるものと考え、同月二六日再度新潟市に行ったが発見できず、同年三月二日山梨県内に戻り、T子宅やS子宅の様子をうかがったりしていたところ、同月五日T子宅で被告人Y子の姿を発見するに至ったが、保護観察所に出頭しなかったため既に執行猶予が取り消され指名手配になっているものと思い込み、T子に見つかれば警察に通報されると考え、T子が外出するなどして被告人Y子が一人になるのを待つこととし、同日夜はT子宅の物置で寝た。

被告人Xは、翌六日午前八時ごろ、T子宅の物置から出たところ、同女宅便所の高窓が開き、同女に発見されてしまった。そこで、同女から警察に通報されるのを防ぐため、急いで玄関に回り同女にそのかぎを開けてもらって同女宅内に入ったが、予想に反し被告人Y子は不在であったので、同女に被告人Y子の居場所を尋ねたところ、T子宅で生活していることは認めたものの、被告人Y子の現在の居所や帰宅時刻などについては知らないと答えるのみであった。そのため、被告人Xは、T子が隠し事をしていると思い、いら立ちを感じていたところ、便所に行ったすきに同女がどこかへ電話をかけようとしたため、同日午前一〇時ごろ、同女が逃げたり電話をかけたりするのを防止するため、同女宅のシーツを切り細長いひもを作り、同女の両手、両足首を縛った。そして、そのままの状態で被告人Y子の話をするなどしていたが、T子が縛ったひもをほどこうとしたので、シーツで作ったひもで同女の両手、両足を緊縛し直し、その後同女から「ゲートボールに行かないと迎えがくる。」と言われたが信用せずにいたところ、同日正午ごろ、近所のE子がT子宅を訪れ、かぎのかかった玄関やサッシ戸を開けようとし、「T子さんいるかい。」などと数回声をかけたのに対し、T子は、「いるよ。」と応答し、更に被告人Xが「声を出すな。」と言って所持していた登山ナイフを同女の首に近付けて脅したにもかかわらず、再度「いるよ。」と応答したが、右E子はT子が不在と思い帰って行った。しかし、被告人Xは、右E子が不審に思い誰かに連絡するのではないかと不安を感じ逃走しようと思ったが、このままT子を残して逃げれば同女から警察へ通報され、既に執行猶予が取り消され指名手配となっているので逮捕されると思い、そうなると被告人Y子に会えないまま刑務所に送られるが、それでは、執行猶予が取り消されるのを覚悟のうえ保護観察所に出頭せず被告人Y子を探し歩き、散々苦労した末、ようやく同被告人の居場所を確認できもうすぐ会って話ができるのに、それができなくなると思い、被告人Y子に会いたい一心から、口封じのためT子を殺害しようと決意するに至った。

(罪となるべき事実)

第一  被告人Xは、

一  前記の経緯から口封じのためT子を殺害することを決意し、昭和六一年三月六日午後一時三〇分ごろ、山梨県東山梨郡《番地省略》右T子方において、その手足をシーツを切りさいて作ったひもで緊縛した同女(当時七三歳)を抱き上げ居間から浴室内へ運び、同女の身体を、水の入っている浴槽内に仰向けのまま頭部から沈め、更にその腰から下を内側に折り曲げるようにして両足とも水中に押し込み、同女を水中に没入させたままその両足首を両手で押え続け、よって、即時同所において、同女を神経原性ショックにより死亡させて殺害し、

二  右一の犯行を隠ぺいするため、同日、右T子方において、西側六畳居間の床板を外して、同女の死体を床下に隠匿し、もって、死体を遺棄した。

(判示第二の犯行に至る経緯)

被告人Xは、T子を殺害しその死体を床下に隠匿した後、近くのモーテルへ行って休息し、翌日の昭和六一年三月七日午前一時三〇分ごろ同所を出てT子宅近くのぶどう畑に潜み、被告人Y子の帰宅を待っていたところ、同被告人は同日午前三時ごろタクシーで帰宅し、T子宅内に入り、T子がいないことなどから不審に思い不安になり近所の家に助けを求めに行こうとしたが、その途中で被告人Xに追いつかれ、同被告人から同行を求められ、一緒に近くのラブホテルに行き、そこで、被告人Xは、同Y子からT子の所在を尋ねられ、当初は答えなかったものの、次第に自分の犯した犯罪について誰かに聞いてもらいたいとの気持になり、T子殺害の事実を被告人Y子に打ち明けた。そして、被告人両名は、同日夕刻ごろホテルを変えそこで一泊したが、被告人Y子は、同Xに対する恐怖心と共に同情心や被告人Xから離れられない運命であるというあきらめの気持から、被告人Xと行動を共にしようと思った。

被告人両名は、翌八日T子宅から現金約七万八〇〇〇円を持ち出して上京し、上野のラブホテルに宿泊し、翌九日は上野動物園を見物するなどした。被告人Xは、同月七日に同Y子と再会した後、同女から、前記Bが今でも同女に好意を持ち茨城県土浦市から甲府市内の同女の勤務するキャバレーに通って来ていることを知ったが、資金が欠乏してきたことから、Bを脅して金を出させようと考え、同月一〇日、被告人両名は、Bの居住する土浦市へ行き、映画を見るなどして時間をつぶしてから同市内のホテルに入り、被告人Y子が同Xの人質にされているように装ってBを脅すこととし、翌一一日午前一時三〇分ごろ、被告人Y子が電話でBを同ホテルに呼び出した。

そして、被告人Xは、同日午前二時ごろ、同ホテルに一人で来たBに対し、登山用ナイフ二本を携帯していることを示すとともに、T子を殺害したことも告げ、「Y子さんは人質なんだぞ。」と言い、同人をその旨誤信させてその抵抗を封じ、逃走資金を作ることを要求した。その際、被告人Xは、Bから、T子が行方不明になっていて山梨の警察が自分を捜している旨の話を聞いた。

その後、被告人Xは、同Y子と、Bを伴って同人のアパートへ行き、同人にキャッシュカードを持ち出させたうえ、土浦で金を引き出すのは危険と考え、Bの乗用車を同人と被告人Xが交代で運転して、土地鑑のある新潟市へ向かい、その途中、被告人XがBに休む旨の電話を勤務先へかけさせ、同日午前一一時ごろ新潟市内に到着し、同市内の銀行で同人の預金から一五万円を引き出させこれを取り上げたうえ、逃走用に新たな衣類を購入しようと考え、車を新潟駅近辺の駐車場にとめ、同人を同車の後部トランク内に入れ逃げられないようにして、被告人両名は近くのスーパーへ行き、衣類等を購入した。

そして、その後、被告人Xは、これからBとどのように別れるか思案していたが、右スーパーから駐車場に戻る際、同Y子に「Bを逃がしたら警察に連絡するかな。」と尋ねたところ、同女が「行くんじゃないの。」と答えたことから、被告人Xは、逃走生活を続けるためにはBを殺害しなければならないかもしれないとの考えを抱き、「やるしかないな。」と同女に言ったところ、同女は、同被告人がBを殺す気になっていることを察し、もしかすると自分も同人殺害を手伝わされるかもしれないが、成り行きからしてそれも仕方がないかななどと考えた。

そして、被告人両名は、同日午後零時五六分ごろ、Bを伴って、新潟市本町通《番地省略》ホテル「チェリー」二〇二号室に入室し、各自出前のすしなどを食べ、日本酒やコーラなどを飲んだ後、被告人Xの指図により三人で入浴するなどしたが、被告人Xは、同Y子とできるだけ長い時間一緒に過ごしたいと望んでいたところから、それには、Bに前記T子殺害の事実を話してしまったため、同人を解放すれば警察に連絡され逮捕されてしまうので、やはり同人を口封じのため殺害するほかないと考え、同人が被告人Y子を同Xの人質であると信じて抵抗することができない状態であることを利用して、同人の手足を縛ったうえ浴槽の水中に沈めて殺害しようと決意し、その際同人は若い男性で体力もあるので、同人の抵抗を排除するため、同Y子に協力を求めて同人殺害を手伝わせようと考えるに至った。

(罪となるべき事実)

第二 被告人両名は、

一  昭和六一年三月一一日、前記のとおりホテル「チェリー」二〇二号室にB(当時二六歳)と共に入室中、被告人Xにおいて口封じのためBを浴槽の水中に沈めて殺害することを決意し、その際、同人が暴れるのを防ぐため、被告人Y子が人質であると信じ、同女の安全を思い被告人Xの言うがままになって全裸状態になっていた右Bの両手両足をバスタオルや布団カバーを切り裂いて作ったひもで緊縛し、更に、別のひもで手を緊縛したひもと足を緊縛したひもを結びつけ、同人に力を入れさせ、ひもが切れないことを確認する一方で、同人をして被告人Y子は人質であるとの誤信を強めさせるため、被告人Y子に目くばせした後、もっていたナイフを被告人Y子の左手甲に当て、その後、被告人Y子の両手両足も同様にひもで緊縛した後、右状態にあるBを抱き上げて浴室内の床面まで運んだうえ、被告人Y子の所に戻り、「ごめんな。痛かったでしょ。」と声をかけて、被告人Y子を緊縛していたひもを解き、「これからBを風呂に入れて殺すから手伝って。」とB殺害の決意を告げて協力を求め、被告人Y子もBが抵抗しないことなどに軽べつの念を抱き同人を助ける気持はなく、被告人Xと行動を共にしてきた成り行きから右殺害に加担することを決意し、ここに被告人両名は共謀のうえ、同日午後五時ごろ、被告人XにおいてBを抱き上げて水の入っている浴槽内に仰向けのまま沈め、同人を水中に没入させたままその身体に馬乗りとなって押さえ続け、続いて浴室に入ってきた被告人Y子において、両手でもがいているBの両足をつかんで押さえ続け、よって、即時同所において、同人を溺水により窒息死させて殺害し、

二  共謀のうえ、右一の犯行を隠ぺいするため、同日右二〇二号室において、右Bの死体を円型ベット下部空洞内に隠匿し、もって、死体を遺棄した。

第三 被告人Xは、右Bの死体を右ベット下部空洞内に運び入れた直後、同室において、右Bの背広内ポケット及びズボンの後ろポケットから同人所有の現金約二万二〇〇〇円を抜き取って窃取した。

第四 被告人両名は共謀のうえ、同月一五日午後八時ごろ、京都市北区小山堀池町《番地省略》F方において、同人所有の現金約一三万円を窃取した。

第五 被告人Xは、業務その他正当な理由による場合でないのに、同月一七日午後九時一五分ごろ、同市下京区高倉通仏光寺下る新開町三九七番地の一先路上において、刃体の長さ約一三・九センチメートルの登山用ナイフ一本及び刃体の長さ約一三センチメートルの登山用ナイフ一本を携帯した。

第六 被告人Xは、別紙犯罪事実一覧表記載のとおり、昭和六〇年三月二八日ごろから昭和六一年二月二一日ごろまでの間前後一五回にわたり、新潟市本町通《番地省略》G方居室ほか一四か所において、同人ほか二四名所有の現金合計約六〇万三三二〇円及び日本刀一振ほか五点(時価合計約七八万六〇〇〇円相当)を窃取した。

第七 被告人Xは、Cが当時自己の妻であった被告人Y子と肉体関係を結んだことに因縁をつけて右Cから金員を喝取しようと企て、

一  昭和六〇年一〇月一三日ごろ、秋田県大館市《番地省略》ホテル「グリーン」客室から新潟市物見山《番地省略》の右C方に電話をかけ、やくざ者のHと名乗って、右C(当時二二歳)に対し、「お前が俺の兄貴分の妻であるY子をかくまった件で嘘をついたから金をI宛に送れ。俺の言うとおりにしないとY子とのことをお前の会社にばらす。」旨告げて金員を要求し、もしこの要求に応じなければ右Cの身体、名誉に危害を加えかねない気勢を示して脅迫し、その旨同人を畏怖困惑させ、よって、同月一五日ごろ、同人をして、電信為替により、秋田県北秋田郡鷹巣町《番地省略》I宛に現金五万円を送金させたうえ、同人を介し右Cからその交付を受けてこれを喝取し、

二  同月二三日ごろ、同郡松葉町二一番一号国鉄鷹巣駅前の公衆電話ボックスから前記C方に電話をかけ、前同様名乗って、同人に対し、「Y子がお前とのことが原因で亭主に殴られて入院したから、その入院費用をJ子宛に送れ。送らないとY子とのことをお前の会社にばらす。」旨告げて金員を要求し、前同様右Cの身体、名誉に危害を加えかねない気勢を示して脅迫し、同人を前同様畏怖困惑させ、よって、同月二六日ごろ、同人をして、電信為替により、同県山本郡二ッ井町《番地省略》J子宛に現金四万円を送金させたうえ、同人を介し右Cからその交付を受けてこれを喝取した。

第八 被告人両名は、前記第七の犯行に引き続き前記Cから金員を喝取しようと企て、共謀のうえ、

一  同年一一月七日ごろ、被告人Y子において、同県鹿角市八幡平字湯瀬湯端《番地省略》旅館「花の湯」客室から前記C方に電話をかけ、同人に対し、「私にあんたの子供ができたことを私の夫に知られたらあんたはひどい目に遭う。私とのことをあんたの会社に知られたくなかったらK子宛に金を送って欲しい。」旨告げて金員を要求し、前同様右Cの身体、名誉に危害を加えかねない気勢を示して脅迫し、同人を前同様畏怖困惑させ、よって、同月一一日ごろ、同人をして電信為替により、同県北秋田郡鷹巣町材木町《番地省略》K子宛に現金八万円を送金させたうえ、同人を介し右Cから被告人両名がその交付を受けてこれを喝取し、

二  同月一六日ごろ、被告人Y子において、秋田市大町《番地省略》ホテル「チェリー」客室から前記C方に電話をかけ、同人に対し、「私とのことをあんたの会社に知られたくなかったら、これを最後にするから、K子宛に金を送って欲しい。」旨告げて金員を要求し、前同様右Cの身体、名誉に危害を加えかねない気勢を示して脅迫し、同人を前同様畏怖困惑させ、よって、同月一八日ごろ及び同月一九日ごろの二回にわたり、同人をして、それぞれ電信為替により、前記K子宛に現金四万円及び現金六万円の合計一〇万円を送金させたうえ、同人を介し右Cから被告人両名がその交付を受けてこれを喝取した

ものである。

(証拠の標目)《省略》

(被告人Xの確定裁判)

被告人Xは、昭和六一年二月一七日秋田地方裁判所大館支部において暴力行為等処罰に関する法律違反罪により懲役一年六月(三年間執行猶予、付保護観察)に処せられ、右裁判は昭和六一年三月四日確定したものであって、この事実は検察事務官作成の昭和六一年四月一八日付被告人Xの前科調書(甲)によって認める。

(法令の適用)

被告人Xについて

被告人Xの判示第一の一の所為は刑法一九九条に、同二の所為は同法一九〇条に、判示第二の一の所為は同法六〇条、一九九条に、同二の所為は同法六〇条、一九〇条に、判示第三、第六の各所為はいずれも同法二三五条に、判示第四の所為は同法六〇条、二三五条に、判示第五の所為は包括して銃砲刀剣類所持等取締法三二条三号、二二条に、判示第七の各所為はいずれも刑法二四九条一項に、判示第八の各所為はいずれも同法六〇条、二四九条一項に該当するところ、各所定刑中、判示第一の一の罪について無期懲役刑を、第二の一の罪について死刑を、判示第五の罪について懲役刑を選択し、判示第一ないし第五の各罪は同法四五条前段の併合罪であるが、判示第二の一の罪の刑について死刑を選択したので、同法四六条一項により、没収のほかは他の刑は科さず、被告人Xを判示第一ないし第五の罪について死刑に処し、判示第六ないし第八の各罪と前記確定裁判のあった暴力行為等処罰に関する法律反罪とは刑法四五条後段により併合罪の関係にあるから、同法五〇条によりまだ裁判を経ていない判示第六ないし第八の罪について更に処断することとし、なお、右の各罪もまた同法四五条前段により併合罪の関係にあるから、同法四七条本文、一〇条により犯情の最も重い判示第六の9の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で、被告人Xを判示第六ないし第八の罪について懲役一年六月に処し、押収してある登山用ナイフ二本は、判示第五の銃砲刀剣類所持等取締法違反罪の犯罪行為を組成した物で同被告人以外の者に属しないから、刑法一九条一項一号、二項を適用して被告人Xからこれらを没収し、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項ただし書を適用して同被告人に負担させないこととする。

被告人Y子について

被告人Y子の判示第二の一の所為は刑法六〇条、一九九条に、同二の所為は同法六〇条、一九〇条に、判示第四の所為は同法六〇条、二三五条に、判示第八の各所為はいずれも同法六〇条、二四九条一項に該当するところ、判示第二の一の罪について所定刑中有期懲役刑を選択し、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により最も重い判示第二の一の罪の刑に同法一四条の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で、被告人Y子を懲役五年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中二〇〇日を右刑に算入し、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項ただし書を適用して同被告人に負担させないこととする。

(被告人Xの弁護人の主張に対する判断)

被告人Xの弁護人は、「同被告人は、判示第一の一の犯行(T子殺害)当時、疲労と緊張は極限に達しており、加えて飲酒したことにより、正常な思考のできない状態にあったものであり、また、判示第二の一の犯行(B殺害)当時、茨城県、新潟県と移動を続けており、その間警察に発見されるという不安、これからの行動へのとまどいなどにより、極度に疲労しており、同様に正常な思考のできない状態にあったもので、いずれの犯行当時も、同被告人は心神耗弱もしくはこれに準ずる状態にあった。」旨主張するので、以下検討する。

一  判示第一の一の犯行(T子殺害)について

前記関係証拠によれば、被告人Xは、昭和六一年二月一七日に釈放後、保護観察所に出頭しないで、被告人Y子を探すために新潟市と山梨県を往来するなどの生活を送り、本件犯行前日もT子方の物置で寝たりしており、このような生活状態からすれば、本件犯行当時ある程度疲労していたことは認められる。また、その間、同被告人は、執行猶予が取消されて指名手配になっていると誤信していたので、警察に追われているという不安のあったことも認められる。

なお、被告人Xは、当公判廷において、T子殺害前に一リットルの缶入りビールを飲んだ旨供述しているが、このような事実については捜査段階においては供述しておらず、その理由について被告人Xはそのことを忘れていた旨述べるが、犯行前後及び犯行の状況について相当詳細に捜査官に供述しているのに、この点だけを忘れているというのは不自然であり、同被告人が本件犯行前にビールを飲んだという供述には疑問がある。

しかしながら、本件犯行の動機は判示認定のとおりであり、被告人Xは、執行猶予が取り消されて指名手配になっているものと誤信しており、この誤信を基にすれば、T子をそのままにして立ち去れば、警察に連絡され被告人Y子に会えないまま逮捕されてしまうのではないかと考えたことは了解可能なことであり、被告人Y子に一刻も早く会いたいとの気持から、執行猶予が取消されるのもいとわず、あちこちY子を探しまわる苦労を重ねた被告人Xにとって同女に会わずに逮捕されることは何よりも耐え難いことであり、その動機は十分了解可能なものであること(被告人Xは、当公判廷において、T子をなぜ殺したのかわからない旨供述するが、前記関係証拠によれば、本件犯行の動機は判示のとおり優に認定できるので、同被告人の右供述は信用できない。)、しかも、前記関係証拠によれば、本件犯行前においては、被告人Y子の居場所をきき出すため登山用ナイフを携帯していることを示してT子に圧力をかけたり、T子に電話をかけさせないなどのためT子の手足をひもで縛るなどその場に応じた目的にかなった行動をとっていることが認められること、犯行前後及び犯行状況について詳細に記憶していて、それが客観的状況に合致していること、本件犯行後T子の死体を通常発見されにくい床下に隠匿していること、その際鏡台などを動かし畳と床板を持ち上げ死体を隠匿した後再び元通りに戻していること、T子を縛るときに用いたひもをビニール袋に入れ他所に捨てていることなど犯行後隠ぺい工作を行っていることが認められるのであり、以上を総合すれば、被告人Xは、本件犯行当時、是非善悪を弁別しその弁別にしたがって行動を制御することが著しく困難な状態にはなかったと認められるので、弁護人の主張は採用できない。

二  判示第二の一の犯行(B殺害)について

前記関係証拠によれば、被告人Xは、本件犯行前日の昭和六一年三月一〇日の昼ごろホテルを出て土浦市へ行き、翌一一日午前二時ごろ同市内のホテルへBを呼び出し、その後Bと交代で車を運転して新潟市へ行き、本件犯行場所であるホテル「チェリー」に入っており、同月一〇日の起床から本件犯行までの間睡眠をとっておらずある程度疲労していたことがうかがわれ、そしてBと行動を共にするようになってから警察に逮捕されるのではないかとの不安を強く抱いていたこと、ホテル「チェリー」の部屋に入室後本件犯行までの間日本酒のワンカップ二本とビールの中びん一本を飲んだこと、同被告人は過去に酔余のうえ被告人Y子などにたびたび暴力を加えたことがあることが認められる。

しかしながら、被告人Xは、ホテル「チェリー」に入る前からBとどのように別れるか思案していたのであり、判示認定のとおり新潟駅近辺のスーパーから駐車場に戻るときに被告人Y子と言葉を交わした際、B殺害を考慮していたのであって、飲酒後突然同人殺害を思いついたものではなく、本件犯行の決意にあたって飲酒の影響を受けたとは考えにくいこと(被告人Xは、捜査段階において、本件犯行前飲酒したが、酔った感じはせず、そのため気が荒くなることもなかった旨述べているが、右供述は信用できる。)、本件犯行の動機は判示認定のとおりであり、Bを殺害せずに逃走時間を稼ぐことも可能であると思われるのに、非常に安易に殺害を決意しているのであるが、その動機は了解不可能なものではないこと(同被告人は、当公判廷においてBが実母M子と肉体関係のあった男性のように思えてしまい、同人をBであると認識せず殺害した旨供述するが、前記関係証拠によれば、同被告人は、Bを緊縛した後も同人の抵抗意欲を失わせるため、被告人Y子の手の甲に登山用ナイフを突きつけ、同女を緊縛するなど、同女が人質であると同人に思わせる行動をとっており、犯行中に「Bちゃんバイバイ。」と言うなど、被害者がBであることを十分認識しながら本件犯行に及んでいることが認められるので、被告人Xの右弁解は信用できない。)、更に、犯行決意後、新潟駅に電話をかけ列車の出発時刻をきいたり、二〇二号室内の円型ベッドのマットを持ち上げ犯行後のBの死体の隠匿場所を確認しているなど、本件犯行前に犯行後の証拠隠滅のための準備をしていること、犯行決意後B殺害という目的に向かって合目的な行動をとっていること、犯行及び犯行前後の状況について詳細に記憶しこれがおおむね客観的情況に合致していること、本件犯行の最中にT子殺害のときに得た知識を基にして、被告人Y子に対し、溺死者が死亡するときはどのような状態になるか教示していること、本件犯行後、あらかじめ考えていたとおり、Bの死体を、通常では発見されにくい円型ベッド下部空洞内に隠匿し、Bや被告人Y子を縛ったひもを袋に入れて持ち出し、他の場所へ捨てるなど罪証隠滅工作を行っていることが認められるのであり、以上を総合すれば、被告人Xは、本件犯行当時、是非善悪を弁別しその弁別にしたがって行動を制御することが著しく困難な状態にはなかったと認められるので、弁護人の主張は採用できない。

(被告人Y子の弁護人の主張に対する判断)

被告人Y子の弁護人は、「同被告人は、判示第二の一、二(B殺害と同死体遺棄)及び判示第四(窃盗)の罪について、被告人Xから各罪に協力するよう強要され、それを拒否した場合に被告人Xから加えられる殺傷行為を恐れ、これを回避するために、やむなく被告人Xに命じられるまま各犯罪に協力したものであり、期待可能性がなく無罪である。」旨主張するので、以下検討する。

一  判示第二の一、二(B殺害と死体遺棄)の犯行について

前記関係証拠によれば、そもそも被告人Y子は、T子が殺害された後、被告人Xから捕そくされ、以来被告人Xと行動を共にしていること、そして、本件犯行当日、ホテル「チェリー」二〇二号室に入った後、被告人Xは、飲酒し(同被告人が飲酒すると乱暴になることがあることを被告人Y子は知っている。)、三人で入浴するよう指図し、浴室内で被告人Y子にナイフを示してBの陰部を洗うことを強要し、同人及び被告人Y子に対し「ここで一緒に殺してやる。」と言い、そう強くではないが同女の右あごを殴り、更に、同室のベッド上において、同女にBの陰部を口に含ませ、同人らにその場で性行為をするよう命じ、ナイフで同女の左手の甲を刺し、Bと同様に、同女の手首足首をひもで縛り上げ、その間被告人Y子は同Xが自分も殺害するのではないかとの疑いを抱いたこともあることが認められるが、他方、被告人Y子はもともと同Xの人質であることを装っていたものであり、被告人Xは、同Y子を緊縛する際には目くばせするなどしているものであり、被告人Xは縛り上げたBを浴室内に運んだ後、ソファーの所に戻り「ごめんな痛かったでしょ。」などと声をかけて被告人Y子のひもを解き被告人Y子にB殺害への協力を依頼し、一人で浴室へ歩いて行ったものであって、被告人Y子のひもを解いた後は、被告人Y子に対する暴行脅迫行為は全くなされていないこと、被告人Y子は、本件犯行前において、被告人Xから、三人で入浴するよう指示されたとき「入りたくない。」と述べ、ベッド上でBの陰部を口に含むよう命じられた際「やだ。」と述べ、その場でBとの性行為を強要されたとき「いやだ。」と言って結局性行為に応じず、ひもを解かれたときには被告人Xに立腹していたため「痛かないよ。」と怒った調子で言い、これに対し被告人Xは「ママ」と甘えた調子で言い、甘える仕草をして、被告人Y子にB殺害への協力を依頼したこと、Bを殺害し同人の死体を円型ベッドの下の空洞内に運び入れた後、被告人両名は不要なものを同空洞内に入れているがそのとき被告人Xが被告人Y子の気に入りのパンティを入れてしまったので被告人Y子から「いやだ。」と言われ、「また買ってあげるから。」と被告人Y子をなだめていることが認められるのであり、これらの各事実にみられるところは、被告人Xは、Bの眼の届く場面では、被告人Y子に対しても、ことさらに、前記暴行や傷害を加えているものの、なおその程度においては加減しており、同女らに対する性的な強制も、被告人Y子が強く拒めば、それ以上の強制には及んでいないことが明らかで、被告人Xの行動は同Y子の人質役に添うものであり、被告人Y子が本件犯行に加担した動機は判示認定のとおりであり、同女がそのような動機を抱くに至った点について本件犯行前の状況からして不自然とは言えないこと、同女の検察官に対する供述調書においては、恐怖感も関係がないとはいえないが、大部分は成り行きからと述べているが、右調書の任意性及び信用性を疑わしめる事情は認められないことからして、被告人Y子が、本件の具体的事情のもとで、本件犯行に加担する以外の行動は期待できないという状況にはなかったと認められるので、弁護人の主張は採用できない。

二  判示第四(窃盗)の犯行について

前記関係証拠によれば、被告人両名は、昭和六一年三月一二日から京都市内に宿泊し、映画を見たりゲームセンターに行くなどしていたが、所持金が欠乏してきたことから、被告人Xがいら立ち始めていたことは認められるが、同月一五日、同Xの発案で二人で窃盗を行うことを計画し、同日昼過ぎごろ宿泊先を出て、窃盗が可能な場所を探し歩き、同日午後八時ごろ本件犯行現場で窃盗をしたものであって、窃盗を計画するときのみならず、本件犯行前及び犯行中も、被告人Xは、同Y子に対し、特段脅したり暴行を加えたりしておらず、被告人Y子も同Xに対する恐怖心から無理やり本件犯行に協力させられたというわけではなく、本件犯行時、被告人Y子はアパート二階の階段付近で見張りをしていたが、被告人Xは、二階に五室位ある部屋のうち階段からみて一番奥の部屋で窃盗をしたものであって、両被告人間は離れているにもかかわらず、被告人Y子は全く逃げる素振りをみせなかったことが認められるのであり、以上のことからして、被告人Y子が、本件の具体的事情のもとで、本件犯行を行う以外の行動は期待できないという状況にはなかったと認められるので、弁護人の主張は採用できない。

なお、被告人Y子は、もともと、被告人Xと離婚した後は、前記のとおり、同被告人から次第に心が離れていっていたのであり、同被告人のT子殺害後、同被告人から捕そくされ、その後行動を共にしているものであって、自ら積極的に行動を共にしたものではなく、行動を共にしている間に被告人XからT子を殺害したことを告げられており、真意は別として、自身に対しても「殺す」などということも言われたりもしており、最後には被告人Xと映画館に入り同人が居眠りをしているすきに逃走しているものである。しかしながら、被告人Y子は、一方で、捜査段階において、被告人Xから捕そくされた際の気持を、嫌いで別れたわけでないし、久しぶりに懐かしい、うれしいという気持とXが嫌がるのに離婚しさぞ恨んでいるだろうなという気持と両方で複雑である旨述べているが、その後の行動も、T子方から逃走時わざと顔見知りのタクシーを避けて手配したり、動物園で楽しく過ごすなどしており、最後に被告人Xから逃げるまでの間に真剣に逃走しようとするならば逃走の機会はあったと思われるのであって、被告人Xと行動を共にしていた被告人Y子の気持は、時に不安にかられることがある一方、被告人Xと行動を共にしようと思う気持が交錯していたものと認められる。そして、最終的に被告人Y子が逃げたのも、当初からその機会をうかがっていてようやくにして機会を得たというよりも、右のような気持に加え、B殺害にも加担し、逃走資金も乏しくなり、逃亡生活に疲れ、この先どうなるのかとの不安がつのったことによるものと認められる。

(量刑の理由)

被告人Xについて

一  被告人Xの判示第一、第二の犯行は、判示のとおり、放縦な生活を重ねた挙句、わずか六日間に別個に連続して殺人を犯し二名を殺害し、その死体を遺棄したものであり、判示第三ないし第八の犯行は、遊興費、生活費を得るためから窃盗、恐喝をくり返したものなどであるが、特に、本件殺人の責任が重大であることは言をまたない。

二  本件殺人の態様をみるに、いずれも被害者を緊縛して生きたまま水を張った浴槽内に押し込み押さえつけて殺害しているものであり、被害者に与える恐怖苦痛等において兇器を使用する等の犯行に優るとも劣らぬものであり、しかも、あたかも虫けらをつぶすが如くに殺害に及んでいるものであり、冷酷非情な犯行といわなければならない。判示第一の犯行においては、七三歳の抵抗するすべのない老女T子の手足を縛り上げ、風呂場に運び、仰向けのまま浴槽内の水中に沈め、その身体を折り曲げるようにしてその両足首を押さえ続けて殺害したものであり、判示第二の犯行においては、被害者Bの手足を前かがみに海老状になるように縛り上げ、風呂場に運び、仰向けのまま浴槽内の水中に沈め、自らも浴槽内に入りその身体に馬乗りになって押さえ、被害者Bが苦しさのあまり最後の力を振りしぼってもがくのを「すごい力だなあ、やっぱり男だな。」などと言いながら被告人Y子と共に押え続けて殺害したものであり、特に、判示第二の犯行前においては、Bに対し、所携のナイフを手に持ち同人を脅しながら、風呂に入れ、被告人Y子にBの背中や陰部を洗わせたり、ナイフで同人のあごを傷つけたり、同人の入っている浴槽内に熱湯を注ぐなどし、続いて同人と被告人Y子に情交を命ずるなどして、無抵抗のBの心をもてあそんだ末に、同人を緊縛し、同人を水中に沈める際「じゃあ、Bちゃんバイバイ。」などと言い、同人を押え続けている際に、被告人Y子に対し「そろそろ終わりだ。足の裏が白くなってきたでしょ。小さなけいれんがきたでしょ。」などと右Bの断末魔の苦もんの状況について説明するなどしながら殺害しているものであり、被告人Xには殺人という重大事件を犯すという罪悪感に極めて乏しく、Bの心をもてあそび、あたかも殺人ゲームを楽しむが如き行動に終始しているものである。

三  そして、その動機をみるに、判示第一の犯行は、さきに日本刀で知人を切りつけ傷害を負わせる事件を起こし、保護観察付執行猶予の恩典を受けながら、被告人Y子に会いたいということからY子を探し歩き、保護観察所に出頭せず、ために、被告人Xは、右の執行猶予が取消されたと思い込み、T子方において同女に発見されたため、警察に通報されることを恐れて同女を殺害したものであり、判示第二の犯行も、被害者Bを、被告人Y子ともども、金づるに利用し、逃走資金等を作らせることから連れまわし、同人から金員を受け取り、その挙句、T子を殺害したことを同人に告げていたため、同人の口から被告人らのことを警察に通報されることを恐れてこれを殺害したものであり、いずれも被害者に警察に通報されることを恐れ口封じのため殺害行為に及んでいるのであり、全く自己中心的な理由から敢行されたものであって、動機において同情すべき余地は認められない。

四  しかも、判示第一の被害者T子は、被告人Y子の祖母で、被告人Y子を幼いころから養育し、被告人Xと同Y子の結婚の前後にわたって、両名を同居させてその生活の面倒をみたり、両名の長男が誕生した際、両名が同児を病院に置き去りにするという親としてあるまじき行為に出たときも、T子が京都の病院まで引き取りに行き、その後同児が福祉施設に預けられてからもたびたび面会に行くなどしていたものであって、被告人Xは、自分の子の養育もせず、これをT子らに押しつけ、T子にはこれまで種々世話になっていたものであり、T子は、むしろ恩のある者であって、その恩人を殺害しているものである。

被害者T子は、ただ単に自宅に居たところ、被告人Xの姿を見てしまったばかりに、家の中に入ってこられ、手足を緊縛された挙句、水中で殺害されたもので、同女にとって防ぎようのない犯罪であり、同女の落度は認められない。

T子は、被告人Xと同居中、同人が働きもせずかえって酔って乱暴するなどして、生活をかき乱されていたところ、同被告人が前記執行猶予となった事件で逮捕され、それがきっかけとなって被告人Y子と離婚し、やっと平隠の日々をとり戻しゲートボールなどをし平和な老後の日々を送れるようになっていたときに、突如、これまで種々面倒をみた被告人Xからいとも簡単に殺害されるに至ったもので、正に恩をあだで返され、抵抗できないまま水中で死亡した被害者T子の死はあわれというほかない。

これに対し、何らの慰藉の途も講じられておらず、被害者T子の養子で被告人Y子の母であるS子は、被告人Xの厳重処罰を望んでいる。

五  また、判示第二の被害者Bは、高校を卒業後、昭和五三年四月に富士ゼロックス株式会社に入社し、以後まじめに職務に励んでいた青年で、宇都宮、新潟の各営業所を経て昭和六〇年四月水戸営業所筑波出張所勤務になり茨城県土浦市に居住していたものであるが、新潟時代に遊びに行ったキャバレーでホステスとして接客した被告人Y子に好意を持ち独身と信じ同女との結婚を夢見て、同女が借金に困っていると言えば金員を工面するなど種々同女のため尽くしていたものである。

被告人Xは、そのようなBを、昭和六〇年秋ごろからは、被告人Y子を介し金づるとして利用し、同人から得た金員で遊興するなどしていたもので、本件は、更に、T子殺害後、逃走資金等を得るため、Bが被告人Y子に愛情を抱いていることを利用し、同女に人質役を演じさせ、純情なBをして、被告人Xに反抗すれば、被告人Y子に危害が加えられるものと誤信させて、逃走資金等を作らせた挙句に、殺害しているものである。

Bは、被告人Y子を人質と信じ、ほとんど抵抗らしい抵抗もせずに殺害されているものであるが、これは被告人Y子を人質役とする被告人らの計画がうまくいったということであり、それをもって、Bの落度とすることはできない。

被害者Bは、まだ二六歳の若さで独身でこれから人生の花を咲かせる時期に、被告人Y子にはその純情を踏みにじられ、被告人Xには、だまされ、利用し尽された挙句、全裸で手足を緊縛されたまま浴槽内の水中においてもがき苦しみながら殺害されてしまったもので、しかも右犯行には愛するが故にこれまで尽くしてきた被告人Y子も加担しており、Bの無念さは計り知れず、また同人の遺族の憤激、悲嘆は甚大である。

これに対しても、何らの慰藉の途も講じられておらず、同人の両親らは被告人Xを極刑に処することを望んでいる。

六  被告人Xは、判示第一の犯行後は、被告人Y子と再会し二人で近くのラブホテルに泊まった後、平然と死体の遺棄してあるT子宅に戻り金員を持ち出し、東京へ行き上野周辺で動物園を見るなどして遊興し、所持金が欠乏したことからBに金員を出させることを計画し成功したが、結局同人を殺害し、その後Bの背広等から「こんなとこに隠していた。」などと言いながら現金を窃取し、右判示第二、第三の犯行後も、被告人両名で金沢へ行って泊まり兼六園を見物するなどし、次いで京都へ行き、映画を見たり観光地を訪れるなどして遊興生活を送り、その間判示第四の犯行を犯し、判示第五の犯行により現行犯逮捕されるに至っているものであって、公判においても殺人の動機について自己の刑責を軽減しようとする弁解をくり返し、本件裁判中に被告人Y子にあてた手紙を読むと、被告人Xが、本件各殺人について反省の気持があるのか甚だ疑問であり、到底自己の罪責を深く反省しているとは認め難い。

七  被告人Xが、このような犯行に出るに至るについては、幼時、親の愛情に恵まれなかった不遇な成育過程に起因するところがあるとしても、既に、成人となり、人の子の親となり、自己の行為の責任を持つべき立場になっているものである。そして、その後の生活態度をみるに、キャバレーのボーイや客引きなどをしながら各地を転々とし、遊興のためいわゆるサラ金から多額の借金をする等の放縦な生活を送り、最初の妻O子ともそれがため離婚し、その際には、同女がXとの間の子を引取っており、その借金もすべて同女に押しつけ、被告人Y子と知り合い結婚後も、同様の生活をくり返し、借金を残しては他に逐電し、この間、風俗営業等取締法違反等の罰金前科五犯を重ね、被告人Y子との間の子も出産後病院に置去りにし、自分の子の養育もせず、昭和五九年秋ごろ以降は全く稼働せず、更に、判示のとおり遊興費や生活費を得るため窃盗や恐喝をくり返し、知人を日本刀で切りつけ傷害を負わせる事件を起こし、同事件について自分自身では実刑判決を覚悟していたところ保護観察付執行猶予の判決を受けて、自力更生の機会を与えられたばかりであるにもかかわらず、その恩情を意に介さず、自戒するところなく、保護観察所に出頭することすらせず、たちまち行方をくらまし、ただ被告人Y子に会いたいという気持だけで勝手な行動をし、その結果、警察への通報を恐れ、金員に窮し、殺人、窃盗を次々にくり返すに至っているものであって、真しに生きようとする態度に欠け、放縦な生活を重ねた挙句、このような凶行を犯すに至っているものである。

八  死刑制度については、種々の論議の存するところであり、その選択に慎重な配慮を要すべきことはもとよりいうまでもない。

しかしながら、被告人Xの本件殺人は、前記のとおり、わずか六日間の間に、連続して、人二人、複数の人間を殺害しているものであり、これは一箇所にいる二人を同一の機会に殺害したというものではなく、全く別個の機会に、それぞれ殺害に及んでいるものであり、しかもいずれも生きている生身の人間を水につけるという冷酷非情な犯行であり、動機もいずれも口封じという自己中心的な動機によるもので同情の余地はなく、被害者らには恩義こそあれ、これをうらむような事柄はごうも見出せないのであり、何ら罪のない者をいとも簡単に虫でもつぶすが如く殺害しているものであって、許し難い凶悪な犯行というべきである。そして、その他前記の諸点を考慮すると、判示第一の殺人の犯行は計画的なものではなく、また判示第二の殺人の犯行も計画性は弱いこと、被告人Xは、前記のとおり、親の愛情に恵まれない不遇な環境の下に成育したこと、前科は六犯あるが、懲役の実刑の前科はないこと、未だ二九歳の若年であること、捜査段階において率直に本件各犯行を自白し、当公判廷においては動機の点については前記の自己の刑責を軽減しようとする弁解をしてはいるが、殺人そのものについては一応改悛の情を示していることなど同被告人に有利と考えられるすべての情状を最大限に斟酌しても、被告人Xに対しては極刑をもって臨むことはやむを得ないものと判断した。

被告人Y子について

被告人Y子の判示第二の犯行は、被告人Xから被害者B殺害への協力を依頼され、何ら同被告人の犯行を思いとどまらせようとする行動をとらず、これに加担し、全裸で両手両足を緊縛されたまま浴槽の水中に押し込まれてもがき苦しむBの両足を両手で押さえ続けて殺害し、その死体をラブホテルのベッドの下の空洞内に隠匿したものであり、本件犯行に至る過程において、被告人Y子は、同女に強い恋慕の情を抱いていたBから金員を得るために詐言をろうして同人を土浦市内のホテルに呼び出し、同人を欺いて金員を出させるため及びその抵抗を排除するために人質役を演じ続け、被告人Y子を信じ切っていたBは、被告人Y子の身を案じたがため無抵抗のまま被告人Xに手足を縛られ挙句の果て抵抗するすべもなく浴槽中で殺害されたものであり、Bの抵抗を排除するために被告人Y子の果たした役割は大きいといわなければならない。被害者Bは、信じていた女性に金づるとして利用されるだけ利用された末、その手で殺害されたものであり、同人の無念さは計り知れないものがある。Bの両親は被告人Y子に対しても極刑に処することを望んでいる。また、同被告人の判示第四及び第八の犯行も、被告人Xとともに遊興生活を送り所持金が不足したことからなされたもので、被告人Y子の刑事責任も極めて重大である。

しかしながら、被告人Y子は、自ら進んでこのような犯行に出たものではなく、B殺害の主犯は被告人Xであって、同Y子自身としてはBを殺害しなければならない動機はなく、成り行きから加担したものであって、その関与の度合いは従属的であり、被告人Xと再会し行動を共にするようになった後、同被告人の言動から殺害されるかも知れないという恐怖心を抱くこともあって、B殺害の場においてもB殺害に関与した理由としてある程度被告人Xに対する恐怖心が影響を及ぼしていることは否定できないこと、これまで前科、前歴はなく、その他の本件各犯行もいずれも被告人Xと共同で犯したもので、被告人Y子が単独で行った犯行ではないこと、最終的には、被告人Xとの逃避行を清算しようとして、同被告人から逃れ、自ら警察に出頭していること等の諸事情を総合考慮し、被告人Y子については主文の刑を科することとした。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 古口満 裁判官 片岡博 裁判官土屋哲夫は転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官 古口満)

〈以下省略〉

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